うなぎの記

生きるのがド下手くそなうなぎの日記

いろいろどーでも良くなってきてしまったのかも。

最近、僕は博士進学への意欲...というか、研究への意欲が前ほど無くなってしまいました。

学会参加も面倒臭い。できれば出たくない。

入学前の自分が知ったらショックを受けるんじゃないかな、とちょっと思ったりするくらいの心境の変化です。

 

一応毎日朝9時前には研究室に来て、夜まで作業しているし、土日も半日以上出てきて作業はしているのですが。

前ほど気概が無くなって、特にここ数日は「無理をしない」を徹底するようになりました。19時には帰ろう、とか。

実験中も「つらい」と感じたら、手を止めてコーヒーブレイクしたり。

一旦昼寝しに家に帰っちゃったり。

 

 

何事も、やってみないとわからない。やってみた結果、思ったほど面白くなかった。ただそれだけのことなのかもしれません。

研究といってもまだまだ学生なのだから、うまく時間が使えず自分のペースを保てなかったり、主体性や自由が多少利かないことは承知の上だったはずなんですけどね。

自分は自分が思っていた以上に、マイペースを大事にしたい、自分で考えてやりたい、他者からダメ出しされるのが大嫌いな性格だったようです。

 

進学まで苦労したのに、さらに進学後も苦労して楽しくない出来事が生じて、一時的に疲れてしまったのかもしれないです。

まだまだ学びが浅いのもあるし、長くやっていると楽しくなってくるというやつかもしれません。

そんな長い目で見なくても、淡々とやっているうちに、学会に出たい、やっぱりもう少し研究がしたい、と思う気持ちも戻ってくるかもしれません。

 

わかりませんが、自分の気持ちを泳がせて、眺める姿勢を取ろうと思います。

 

悩み過ぎて苦しくて動けなくなるのは自分にマイナスなだけなので、気持ちと行動を切り離してみる作戦です。

そして、なにごとも「8割できていればいいやー」。

なにか予想外のアクシデントが起きて、心の負担が大きくなりそうな時も「ま、いっか」。

そう思いながらやりすごしてみています。

平穏が訪れて

今の研究室に移動して、あっという間に5ヶ月近くが過ぎていました。

本当にあっという間でした...。

移動先では、学生や職員、研究者、自分の専門分野の研究に関わる人との出会いが去年とは比にならないくらい沢山あり、

ささやかながら楽しいイベントや、本来体感したかった景色が見れたりして、移動して良かったぁと思っています。

 

一方で、主に新しい指導教員やポスドクとの関係で嫌なことや辛いことも生じてしまいました。これは、指導といえば聞こえが良いししょうが無い壁のような気もしますが、

相手の人間性によるところも大きい気がしています。

結局、どこに行ったとしても、人との関わりの中では、大なり小なり"嫌なこと"っていうのは生じるものですね。

このへんのもやもやは、また掘り下げて書くかもしれません。

 

最近は"嫌なこと"を今後働く時の糧や自己分析の参考にしようと思っています。

アンガーマネジメントも少しずつトライするようになりました。

 

こうやって少し振り返ると、たった数ヶ月でも濃い日々を過ごしているように見えるなぁ。側から見たらそう映るのかも。

期待と不安

試験の結果が出ました。研究室移動できることになりました。

ホット一安心です。安心したら、少し不眠症も改善し、夜眠れるようになりました。

過緊張というやつだったみたいです。

ドラッグストアで一箱2000円くらいで売っている漢方も結構効きました。

 

もと指導教員とも一段落つきました。本当に良かった。

前の研究室で他の学生にどう思われようが、教員がどう思っていようが、どうでもいい。

まずは自分を大事にして、失った時間を取り戻したい。やり直したい。

 

相変わらず、人と関わるのは苦手で、移動先の学生とうまくやれるかなという不安はずっとあるんですが

少し堂々と、あまりくよくよしないようにしようと、思っています。

人間、くよくよしているとなにか言いたくなるらしいですね。わかっちゃいるけど、精神状態ヤバすぎて、そんなこと言ってられなかった。

でも今は少し落ち着いたと思うから、あんまり周りの目ばかり気にしていないで堂々としたいです。

たのしい研究生活になりますように。

一段落?

進捗を残しておこうと思います。

 

年が明けてから、移動希望先を決め、約1ヶ月はバタバタでした。
移動するには試験を受けないといけないらしく、その準備をしていました。

まだ結果は出ていないのですが
準備中、苦しいながらも、夜遅くまで研究の相談に付き合ってくださる移動希望先の先生の姿勢に救われながら
もう「頑張ったな」と少し納得感を抱えているので、今はどういう結果でもいいかなという感じです。

いや諦めんなよwと思われてしまいそうですが。
どうにもまだ自分に自信がなく。試験に手応えを感じないどころか「やばいかもな」と思っているのもありますが。。

でも、短期間に自分自身と向き合って、どれだけ自分をコントロールして努力できるのかわかってきたし、調整の仕方も、どうしようもなく苦しい時間もあったけど少しは理解が深まって、進歩したのかなと思います。

そういう意味では、この時間というのは無駄ではなかったし
最悪の最悪、中退という道を選んだとしても、また別の道で自分は努力できるしそれなりに仕事できるんじゃないかなという自信は付きました。

 

それはさておき、受け入れ希望先の先生には本当に感謝です。
基本的に学生からアクションを起こさないと見ないよ、というスタンスを取っている方ですが、連絡すればどんなタイミングでも時間を取ってくださるし
お話している時も思いやりを感じる話し方をしてくださるし
「あーこんな...先生優しっ...!」となっていました。

言葉の使い方にとても厳しいし、OK出るには時間がかかるのでそこは大変ですが
それは自分の能力の問題もあるし、なによりどういう理由で駄目なのかちゃんと教えてくれるので、とても勉強になります。
ただため息をついたり、声を荒げたりしながら「お前は〇〇(他の学生の名前)と同じでそういうところできないよな」などとダメ出しだけしてストレス発散している今の教員とは大違いです。

 

基本的に学生から連絡を取らないとだめ、といういスタンスも、連絡が取れない人は間際になってバタバタすることになるわけですが
先生側から見ても大変だよなと思うんですよね。「あいつ大丈夫かな」とハラハラしながらも、「大丈夫?」と連絡は取らずにじっと待っているわけですからね。

「待ってくれている」そう思えるのも、先生が愛情深く教育してくれる人だと、感じているからだと思います。そこが伝わって来ない先生だったら「ああ、この人は学生のことどうでもいいんだな」と思ってしまうので。

なにより、自分はまだ受け入れが決まったわけではないのにこんなに熱心に見てくれる姿勢が、仕事だとしてもプロ意識を感じるし、かっこいいな、と尊敬できました。

新しい先生の、新しい指導方針に出会って、振り返って今の先生も本当は同じように学生のこと大切に思っていたのかな?自分は気づけていなかったのかな?と考えてもみたんですが、いや絶対そんなことねーわ、という結論になりました(笑)

なぜなら、、
入学早々言われた心無い言葉や、仕事をやめて悠々自適に暮らしたいと学生にしてしまう上「俺が今教員やめて〇〇行っちゃったらどうする?」とか、入学してやる気に溢れている学生に言うべきではない冗談(冗談とも取れない)、沢山の学生たちがいる前で「私はもう新しいことしないようにしているので」と他の先生に会話している様子(相手の先生もちょっと引いてた)。
...と、上げたらキリがないんですが「なんか事情があってもう疲れちゃったというのは伝わってくるけど、ほんと自分のことしか考えてない人なんだなぁ」と思ってしまうわけです。

自分が苦しかったとしても、それを出す場所は間違えないように、我慢できず出してしまったとしても、伝え方や相手への礼儀は忘れないようにしないとだめだと思うんですよね。

 

さて、この先まだまだどうなることやらですが
今は論文読んだり英語の勉強を怠けず継続するのみです。

「学割」と謳いながら年齢制限をつける奴ら

社会人学生になるまで知らなかった、呆れた制度。

 

本当、なんなんでしょうかね。どこが始めたんだ?

そんなに社会人になってから学生に戻った人、増えたんでしょうか?

それで損をする店が続出した?そんなに?

飛行機も、美容院も、その他習い事も...。

 

社会人学生だって、お金ある訳ではないし

むしろ親に出してもらっている現役生と違って、自分で稼いだお金で学校に言っている訳で

人生の給与トータルで計算したら、おかしいってわかるでしょう。

 

ほとんどの社会人学生は、会社を止めて学生の時間のみだと思うけれども

たとえ仕事と二足の草鞋を履いていたとしても、現役学生がその後仕事をするのと、なにが違うのでしょう。
違いは、自分で学費を負担しているか、親が負担しているか、そこだけでしょう。

あー本当にこの制度は腹立たしい。

年齢制限なんてつけるなら、

・親からの支援年額〇〇以下

・資産運用していない

・アルバイト年額〇〇以下

とかでも制限つけてほしいわ。

証明する術がないって言うなら、こんな中途半端な制度つけるな、クソが。

あと少しの辛抱?

あけましておめでとうございます。

今の感情を書き出しておこうと思い、筆を取りました。

 

年末は帰省し、研究室とも意識的に距離を置くようにしているので少し落ち着いてきました。

ただ、まだ環境が落ち着いた訳ではないので、ずっと不安を抑えながら過ごしています。
不安で動けなくなるのは避けたいので、論文読んだり勉強したり、無心に歩いてみたり。。

 

年が明けてから、ハラスメント相談や対応してくれている大学職員からは、なにも連絡がありません。

裏では動いているのかもしれないし、まだ年明けで特に動いていないのかもしれない。

僕が移動の希望先を明確にするまでは、待ってくれているのかもしれない。

しかし動きが見えないと、こんなにも寂しく不安になるものなんですね。。

 

今回、このようなことがあって、どうにかしようと動いてみて、『ああ、みんな(ハラスメント相談、学生相談、学長や事務)にとっては仕事でしかないんだよな、冷たいというか寂しいものだな』という感情が湧きました。

当たり前なんですけどね。余計な感情は抑えて対応しているのかもしれない。

しかしカウンセリングの人でさえ、1時間という時間の中での会話でのみ寄り添い、来るもの拒まず去るもの追わずな感じで、こちらから連絡しなければ向こうも何もしない。なんだかなぁ、と思ってしまいます。甘えでしょうか。

本当は、大学の機関とは別に、学生相談と自分の間に入ってくれるような、時々気にかけてくれ、信頼できる存在が一人いたら良かったのかな、なんて思ったりしてしまいます。

 

こんな弱音を吐いていてもしょうがないですね。

嫌なことは、実際にあった。大学側は動いてくれている。自分が悪かったのかなどという感情は持つ必要はない。だからこれ以上一人でもやもや考えない。

 

今月中にはこの中途半端な状態から抜け出せますように。。

今後

研究室移動について、いよいよ具体的になってきました。

 

やはり僕の希望する専門を扱う研究室は、今の学部だと他にないらしく

他の学部へ編入試験を受けて移動することになりそうです。

 

数日は、『試験受けないといけないのかー。そこまでしてまた失敗したらどうしよう...』といった思いが頭の中をぐるぐるしていました。

とにかく、何かできることから動かなきゃ!と焦りはあるものの、無気力感に襲われ

なにもできず、家に引きこもってしまいました。。

 

でも、なんとか、なんとか起き上がり

意識的に朝一カフェに行って作業したり、モチベーションの上がる本を読んだりして

やっとこさ動けるようになってきました。

『ここまで来たら、できること全部やってみよう!』と、今は思っています。

失敗してしまったものはしょうがない。同じことを繰り返さないように活かせるところは生かしながら前進あるのみ!です。

また、『ケンタッキーのカーネルさんも、仕事で4回も失敗し、それでも60過ぎてから成功したのだから、もしこれでまた失敗したーと思っても、上には上がいるしなんとかなるから思い詰め過ぎずにやってみよ』ということも、時々自分に声かけしています。

 

今抱えている研究は、もうすっかり作業の手を止めてしまっており、先生とも連絡を取らなくなってしまいました。

でも、先生からは催促も心配の声かけも、なーんにも来ません(笑)

黙って待っているんでしょうか。そう言うものなのでしょうか...。

数週間前に対話した時も、僕の情緒不安定さに苛立ちは見せたものの、その後僕が涙していても気にせず楽しそうに自分の話をしていたので、やっぱりちょっとオカシイ人だったのかなぁ、とも思ったりしています。

気にしないフリをしてくれていたのかもしれませんが。

 

作業は手を止めてしまっていましたが、その間は

大学に自分の状況や希望を伝えたり、移動先候補の先生に質問したり

といった動きが続く中で

「人にどうしたら伝わるか」「どうしたら言葉にできるか」ということを何度も考えて書き出したり、説明の練習をしたり、そんなある種の勉強をしていました。

今、机にはその類の本がたくさんあります。

まだ落ち着くまで数ヶ月かかりそうだけど、親切にしてくれる人もいる。

その親切に感謝を忘れないようにしながら、なんとか耐え抜くぞ!