うなぎの記

生きるのがド下手くそなうなぎの日記

アカハラで研究室移動(そして転科)する中で学んだこと

僕はアカハラで研究室移動したのだが、移動するとなったらなったらものすごく大変だったので書き残しておこうと思う。

移動したことは後悔していないが、移動するまで(した後)も嫌な思い、二次被害を受けた。

読み返さずにざっとかくので稚拙な文になってしまうが、気が向いたら整理する。

 

僕は自分からすぐに「研究室移ろう!」と決めたわけではない。

指導教員の言動の対処に困り、周りに相談できる先輩も仲間もいなかったところから、まず学内の支援機関(学生相談室)に助けを求めた。

最初の相談で、僕は「どのように対処したら、指導教員の言動に耐えながら卒業まで頑張れるのか」ということだった。

これに対し、相談員は「研究室を移動した方がいい」という回答だった。

ここで初めて、研究室を移動してもいいんだ、という新たな選択肢を知ることになる。

 

そして少し悩んだが、結果的に「環境が良くなるなら」「頑張って大学院に進学してきたのだから楽しく研究をやり直したい」と思い、移動することに決めた。

 

しかし移動するのがものすごく大変だった。

まず、ハラスメント相談室に行き、学部長などに自分が指導教員にどんなことをされ、どうなってしまったかを正確に伝えなくてはいけない。
これはものすごくしんどい作業だった。

傷ついた時のことを詳細に思い出すのは誰だって嫌だろう。

 

そうしてなんとか伝え、コース長や学部長が私の今後をどうするか話し合ってくれた。結果、学部には自分が希望する専門の研究室が他にないので、学部を移った方が良い、と言われた。

移るには、もう一度試験を受けないといけないらしい。

なんで被害を受けたほうがこんな苦労を...と思ったが、しょうがないので従うことにした。

別の学部の研究室に訪問に行き、無事環境が改善されそうな受け入れてくれる研究室が見つかったので、転科試験を受けた。

 

そうしてなんとか、傍からみたらスムーズに転科でてめでたしめでたし、となった。

 

しかしそんなに手放しで喜べたことではない。

「転科生」は教員達の間で腫れ物のように扱うところがあるらしい。

「受け入れることにした後、他の教員から大丈夫かというメールが来た」と今の指導教員が僕に教えてくれたことがある。今思うと本人になんでそんなこと伝えるんだこいつ、と思っている。

移動するまでの様々な手続きは大学側がやってくれていたが、実に事務的で、それが傷心中の自分には虚しく、冷たいなぁと感じてしまうこともあった。

そして誰も移動までの道中導いてくれる人がいないのも心もとなく、辛かった。みんな自分の領分の仕事を淡々と受けて流すだけ、といった形で、各部署の状況をまとめて連携してくれる人がいなかった。

また、心のケアに気を配ってくれる人がいなかったのが一番辛かった。

初めに「転科した方がいいんじゃないか」と提案した相談員も、ハラスメント相談室の職員も、こちらからアクションしない限りは「最近どうですか?」といったことさえも聞いてもらえなかった。

相談者から足を運んで相談に来たら、決められた時間だけ話を聴いてやる、という感じ。

これは、日に何件もの問題を扱っていて、仕事としてやっているのだからしょうがないのだろうなと割り切った。それでももう少し気遣いしてくれる人がいたら移動中心強かったなと思ってしまう。

転科後は、対応が面倒くさいのだろうか、と疑心暗鬼になってしまい、そんな自称相談員はこっちから願い下げだ、という気持ちで、自分から話に行くことはしていない。

当然向こうも、「最近はどうですか?」といった経過観察をすることはない。

しかし、学生の心理やハラスメントを扱うのであれば、対処後の経過フィードバックをして、今後の別の問題に活用しそうなものであるが、なぜそうしないのだろう?

大学機関の闇はおそらく改善されることはないだろうな、と思った。

いつまでも、学費を払う学生の立場は低く、人間性が欠けていて研究だけやっていればいいと思ってふんぞり返っている人間は、(場合によっては過去の実績だけをいつまでも大事にアピールに使いながら)やりたい放題する構造なのだろう。

 

学費といえば、僕は転科後1年生からやり直すのではなく、授業分の単位は満たしていたので2年生からやることにした。
つまり、たった1年で新しい研究をやり直すわけだ。
本当はこんなことしたくなかった。1年からでなくて大丈夫?と少しだけ心配する声もあった。
しかし自分は独立生計で院生をやっているので、もう一年伸ばすとなると、学費と生活費を余分に支払わなくてはならなくなる。それは辛い。
学費はもしかしたら、減免できるかもしれない。しかし生活費はどうにもならない。

それに、教員のせいでこんなことになったのに、学生の自分は何の生活支援を受けられることもなく、なんでもう一年分支払わないといけないんだ、と思う気持ちのほうが強かったのである。

年齢、金銭面、精神面、全てに余裕がない中で、出した結論だ。

もしずっと時間が経過して、長い目で見たら、たった1年伸ばすくらい、大したリスクでもなかった、となるかもしれない。でも今は1年が大きいと思ったのだ。

 

最近はなんで大学院になんて来てしまったのだろう、とあんなに憧れて来た進学を後悔し始めている。
鬱気味らしいから、余計そういう方向に考えちゃうのかもしれない。

 

しかし、移動後も現指導教員から心無い言動は浴びせられたので(感情的に「研究やめろ」と怒鳴りつけられる、金曜~日曜に調べてきた資料を月曜に見せたら「あんなに時間かけてたのに全然違うじゃん」と自分が持って行きたかった方向性と違ったからという理由で怒鳴られる、「もういい、俺が言ったとおりにやれ」と自分で適当に実験デザインを考えて強制的にやらせる)、ああ、どこいってもこんなやつしかいないんだなぁ、なんで高い授業料払って金も出ないのに夜遅くまで頑張ってるんだろ、アホみたいだ。と大学院に対する印象が最悪になったのは事実としてある。

これは僕の能力だけの問題ではない。

 

進学したことで得られたメリットも少なからずあるのに、悪いことだけ浮かんで気持ちが沈んでしまう。

来年の3月にはどうなっているだろう...。

 

とはいえ

研究も大詰めに差し掛かり

 

ものすごーーーーくしんどい数ヶ月だったけど、まとめの時期に入って、やっと「楽しい」と思えてきている自分がいる。

わかってきたから楽しいのか?

形になりつつあるから楽しい?

言われたことをやるだけで苦しい時期を一時的に過ぎたから楽しい?

わからん。やっぱ、もう少しがない目で見ないとわからんのかなぁ。

とはいえ、時間をかけてはいけないというのも事実。。

がんばるぞー。

腹を括るということ

最近は、卒業後どうしようかな〜ということをぼんやりぼんやり考えています。

自分は院進学するにあたり、研究をするということにあたり、「腹を括る」という覚悟が足りなかったのか?と。

確かに努力はしてきた。根性根性でやってきた。

しかし、予想外のことが起き、人間関係でうんざりし、感情の起伏が大きいというのは、腹を括る覚悟が足りなかったからなのかなと。

 

入学前は、楽しみだった。学生との議論や研究活動に思いを馳せた。

実際は、思ったほど熱意のない学生が多く、実家の太さだけでなんとなく進学した人が多くがっかりした。
指導教員の人間性のヤバさにもびっくりした。

そうして、それでもと頑張って、我慢して、踏ん張って、、疲れてしまった。

 

もうどうでもいい、こんなに頑張っても次はこんなことがあるのか、じゃあもういいや。

本当に疲れた。一回やすみたい。。

そんな言葉が頭に流れた。

 

でも、でもだ。
研究活動に、他人は関係ないのだ。
比較すべきは過去の自分。
色々と想定外なことが起きたけど、それらさえも腹をくくって、結果だけを積み上げていく。
その覚悟が自分には足りなかったというだけのこと、なんだろうか、、と。

 

自分には本当に熱意がなかったのか?
熱意があれば、壁にぶつかってもどうにかしようとしたか?
いや実際どうにかはしてきたのだけど...振り切れずに歩みが不規則、迷う、悩む、苦しむを繰り返している。

 

自分をご機嫌にすることは自分のためってわかっている。
自分を相手にどう見せるか、見せ方が上手い人は余計な困難を寄せ付けないだろう。
僕は表現が下手だ。全部見せてしまう。それが自体を悪化させているのもわかっている。。

 

今一度、目的を明確にしたほうがいいのかもしれないなぁ。

卒業までのカウントダウンはじまる

もうすっかり秋です。記事を書かない間にも色んなことがありました。

特に、研究とは関係ないですが家族のこと。びっくりすることが3つ4つ立て続けに起こり、「は〜、これが老いというものかぁ」などと思いました。

 

そうしてバタバタして大学に戻ってきたら、苦手なポスドクが転職していました。
安定・妥協できる道を見つけたのでしょうが、「仲の良かった学生はみんな卒業してしまい、数年先今残っている学生や来年入ってくる学生の面倒を見たくない」も理由にあるのだろうな〜とぼんやり考えました。
社会人というより、学生を引きずっているような人だったなぁ。
どうでもいいのですが。いなくなってこちらとしては精神的に良くなりました。

 

研究の方は実験は一段落し、データ抽出ってところなのですが、相変わらず教員とのコミュニケーションには苦労しています。多分ずっと苦労するんでしょう。

意識してお休みを取ろう

今日は日曜日。やっと実験が落ち着いてきたし、意識して休みを取ることにした。

「意識して」って強調しているのは、これまで何だかんだ研究の作業をしてしまっていたからです。

今日も「あ、実験動物に餌あげる日だ...」などと気付いてしまいました。。

いつもなら、やるべきこと最優先、なのですが、きょうは思いっきりゆっくりして、夕方にちょこっと作業、にしてみます。

自己分析

就活用の自己分析って、難しいなぁ。と最近思っています。

いや、質問やフォーマットはネットにも転がっているし、本屋に行けばあるのは知っているんです。

効率よくたくさんの質問に答えていって自分を知っていくというのは、忙しい就活生にとって合理的な方法なのかもしれない。

でも、質問の内容に疑問を感じてしまう。「幼少の頃の性格は?」とか、なんでそんなところまで遡って掘り下げて考える必要があるの?とか思ってしまって、なかなか手をつけたいと思えない。

もしかしたら、全部に真面目に考えて答えなくても、そういった質問から、「そういえば、当時はこんなことを感じていたな」と思い出して、そこから質問の枠を超えて「なんでそう思っていたんだろう?」「何に影響を受けていたんだろう?」と自分で深掘りしていけばいいのかも。

というか、それを全部質問にしてくれているのがフォーマットってだけなのかも?

 

自分は昔から、人に言われてやるというのが嫌いだった。
だから、自分でどんどん思考を広げて考えていくほうが楽しいと思う。抵抗もない。

あーなるほど、フォーマットは思考するためのヒントくらいに思っておけばいいのか。

書き出してみると、解決法が浮かぶものですね。

まあ、このブログも、自己分析の一つの手段みたいなところもあるんですけどね。